*もっとタラノメ目線で『創価学会』的“生き方”*

2002年に入会したタラノメが体験してきた『創価学会』は、理想の“生き方”の基本になりました。

2020・3・11。…東日本大震災から9年の今日。

 

 

巨大地震津波…ビックリした14:46頃。。。

 

 

 

私は2人の子を実家に預けて

一人、久しぶりのリフレッシュタイムを過ごすべく、友人と劇場にいた時だった。

 

 

上の子は2歳。下は1歳。

母がお昼寝しだした1歳の息子を抱っこしながらウトウトしてた時だったみたい。

 

 

 

私は地元の芸術館に。

 

 

 

演出でもない異常な揺れにビックリしたっけ。。。

 

 

ヤバい… って心底思ったけど何もできなかったし、動かなかった。。。

 

長い揺れに飲まれて

見上げる天井の大きな照明が大きく揺れるのを見ながらの恐怖と、

 

預けた子どもたち…家族…

 

ダメだ…って思って本当に怖かった。

 

 

 

でも、そんな時…

 

隣の高齢マダムが、私の方に寄り添い腕をしがみつき、「こわい…どうしましょう…」って言われてハッとした。

 

そして、私は自分が怖いのも忘れてそのマダムの肩を抱き、さすり、マダムを守るように

「大丈夫です…、大丈夫…」

 

そう言いながら私は私をしっかりさせてた。

 

 

 

護らなきゃ…って思う時、力が出る。

 

それを思ったし、

 

 

 

あと…

 

 

 

どんなに大切な人の事を思って

駆けつけて助けたくても、、、

 

 

自分のできる事は、ただ目の前の人しか助けられないんだ…って事だった。

 

 

 

 

祈るようにロビーに出られた時、普通に外を軽トラが走ってて驚いた。。。

 

 

街は崩壊してるんじゃないか⁉️って程の大きな揺れと長さだったから。

 

 

信じられない揺れの震源地が東北だったのも信じられなくて、

 

 

とりあえず演劇は中止。

 

家に帰って夕方テレビを見ながら唖然としてた…

 

 

信じられなくて…

 

 

 

 

 

「無事で良かった」と思う反面で

 

 

「無事で良かった」と思う自分を

それでいいのか…とジャッジする自分もいて…

 

 

なんだか

 

 

食事をしたり、

 

 

普通に"生きている"こと自体への

 

疑いと罪悪感…、自分の無力さの呆れ…

 

 

 

時間と共に思うようになっていった…な。

 

 

 

 

 

 

 

忘れてはいけないけど、

 

 

 

忘れるように、生活をした。。。

 

 

 

 

罪悪感を振り払いながら。

 

 

 

 

 

 

毎年、その時の"罪悪感"が蘇る3.11

 

 

 

 

 

祈りながらも報われない、信じられない、そんな気持ちがずっとあった。

 

 

 

東北で頑張る同志の姿や聖教新聞の記事を見て

 

その場に居ない、体験していない自分は

本当の意味で同苦できない、、、そこを責めながら、どうしていいか分からないまま時間が過ぎてる。。。

 

 

 

生老病死を説く仏法哲学がありながら

 

祈るしかできない自分を無力…と責めながら。。。

 

 

 

 

 

ここ数年になってやっと

 

反対の季節、夏の頃に震災を題材にしたエッセイ等、読めるようになった。

 

 

 

自分の中のの部分を納得させられたのは

 

東北の地に何度も足を運び、そこを小説にしてた本だった。

 

 

 

 

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

サンカーラ この世の断片をたぐり寄せて [ 田口ランディ ]
価格:1760円(税込、送料無料) (2020/3/11時点)

楽天で購入

 

 


 

 

 

 

死ぬ瞬間は、皆誰しも 穏やかなんであろう…っていうような言い回し。

 

ハッキリ覚えてないけど。

 

どんな亡くなり方でも、最期の瞬間は穏やかなんだ…っていう、そんな感じに私は救われた気がした。

 

 

 

 

実兄を亡くした田口ランディ、ご本人から出てくる言葉に

 

 

なんとも言えない納得を覚えて、そこで安心しながら、追善回向の祈りをしてる。。。

 

 

 

 

 

本当に身近な家族や友人を

 

私はまだ失ってない。

 

 

 

 

 

41歳にしてまだ。

 

 

 

 

 

だから怖いし、わからない。

 

 

 

それでも祈れている、信心できてる自分で良かった…と思うし

 

 

この信心が無ければ、逃げるしかない人生だった。

 

 

 

 

 

 

 

だから私は逃げないよ。

 

 

 

 

 

 

 

生きてる限り、祈り続ける。